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No Money In Philosophy

_あなたの哲学を壊す_ 僕の哲学であなたの哲学をぶち壊して再構築するブログ。これはある意味で危険な行為であるが人生の中で最も大事な事の一つだと思う、なぜならそれが成長だから。これが最初のBreak your philosophy and reconstruction。あなたが僕の哲学をぶち壊してくれれば僕はまた一つ成長できるだろう、Please break my philosophy!!

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コミュニケーション能力批判

――と言っても、「コミュニケーション能力ばかりが偏重されるのはけしからん」という話ではありません。ではどういう意味での「批判」なのかは、読めば分かります。スタンドプレーで個人の能力を発揮しても集団のためになるとは限らないのであって、要請されることに合わせ、周りの皆が高いパフォーマンスを発揮できるようにすることが社会において求められる――ここまでは特におかしなことはないと思います。なぜか一転、「コミュニケーション能力」が仇となるとしたら、どうでしょう。
コミュニケーション能力批判



今日はトラックバック記事です
毎日非常に高度な文章を書いておられる山中芸大日記のT.Y.氏の記事にインスピレーションを受けたため陳腐ながら僕なりのコミュニケーション批判をさせていただきます。

今日の社会ではコミュニケーション能力、「コミュ力」を過剰に要求しています。
まず、その背景にはどういった理由があるのかを考えてみる必要があるでしょう。

よく言われるのは若者のコミュニケーション能力の低下ですが
本当に若者は昔よりコミュ力が低下したのでしょうか?
本当に中年の人たちの方がコミュニケ―ション能力が優れているのでしょうか?

コミュニケーション能力が必要事項として要求され始めたのは平成になってから
厳密に言えばバブル崩壊後、数年たってからというぐらいでしょうか。

その時にいったい何があったのかというと
人々の趣向の多様化、いわゆる人々の趣味思想が多様化し、
人間の多様化が起こったわけですね。

これによって人々のコミュニケーション能力の向上が必要になったのである
単純ではなくなった人々がコミュニケーションをとる場合も当然単純であるはずもなく
それに合わせてコミュニケーションの高次元化
高度コミュニケーション能力が必要になってきたわけです。




T.Y.氏の記事よりいくつか引用させていただくと

彼らが口にする「コミュ力」とは、スクール・カーストを形成する人間関係格差の原点となっている「コミュ力」とか、相手を動機付けて行動を促したり、異なる意見の相手と議論して一つの結論を導く、という真の対人能力ではない。その場が期待するような話を展開し、空気を読みながらその場をうまく取りなすような能力だ。そして、その能力の高い学生がカースト上位に君臨し、自身に有能感を感じてきたのである。
 (豊田義博『就活エリートの迷走』、ちくま新書、2010、pp.129-134)


みんな「コミュニケーション能力」を身に付けようとしているが、その内実が問題なのではないでしょうか。
豊田氏の表現に従うなら、「社会に出てやっていける」ために必要なのは「コミュニケーション能力」なのに対して、多くの場面で「過剰に期待」されているのは「コミュ力」ではないかと思われます。
そうしたズレを無視して、当然自分も相手も「コミュニケーション能力」の語で同じことを理解しているはずだ、という前提の下に話を進めるのは、それこそ「コミュニケーション能力」のある人間のやることとは思われません。
ズレを無視したまま「コミュニケーション能力を身に付けろ」と言うと、相手は「コミュ力」を身に付けようとしてしまい、ますます「コミュニケーション能力」からは遠ざかる、ということも考えられます。
 山中芸大日記




これは僕の見解なのですがコミュニケーション能力には大きく分けて二点の要素があると考えられます
一つはその場が期待するような話を展開し、空気を読みながらその場をうまく取りなすような能力
というような表現をされている部分に当たるコミュ力の要素、社交性です。
  • 新しい環境にすぐ慣れることができ、初対面の人とも普通に話せる
  • なれない相手とも雑談ができる
  • 場面や相手との関係に応じて、ふさわしい距離が取れる
といったような能力を社交性というわけですが、社交性の関係するコミュニケーションの要素を
社交性コミュニケーション能力と名付けます。
T.Y.氏や豊田氏が「コミュ力」と表現しているのはこの社交性コミュニケーション能力に当たると思います。

そしてもう一つのコミュニケーションの要素は自分の意見を相手に伝えたりする能力
自分の内面的な事を開示するかどうかという能力
自己開示性です。
自己開示性の関係するコミュニケーションの要素を
自己開示性コミュニケーション能力と名付けます。

ここで大事な要素がいくつかあります。
まずはじめに社交性コミュニケーション能力が低い人=人づきあいが苦手
であったり社交性が高い=人づきあいが得意
とは厳密には言えないことです
例えば自己開示性が低く社交性ばかり先行してしまうと表面的なつきあいに終始して他人に本心を明かさなくなってしまうといった問題が発生してしまいます。

こういったコミュ力を持った人を社会が欲しているとは私には思えません。
逆に社交性が低い人でも一度仲良くなれば高い自己開示性コミュニケーション能力を発揮し
高い生産性を発揮する人間も少なくありません

という要素が一つ。

次にこの二つの要素は性格の一種であるということ
コミュニケーション能力という言葉に翻弄されて
コミュニケーションというものの本質を忘れてしまっているのではないのか

コミュニケーション能力とは表面的な会話の能力ではなく
自分自身の性格、自我の成熟度のことであるということが言いたいのだ

コミュ力をつけろという言葉は
さもコミュニケーションには正解があると言っているようなものである
そんなものが本当にあると言えるのであろうか?

お前はコミュ力が無いという言葉は
お前は性格が人より劣っていると言っているも同然である
そんな言葉を発する人間に真にコミュニケーション能力があるとは僕は思えない

コミュニケーションの本質を忘れてはいけない
社交性ばかり特化したコミュ力など犬や猫のコミュニケーションと同じだ

他人に自分を伝える事がコミュニケーションであり
それが偽りの自分であったり、いつまでも自分を見せないよなものではいつまでも真のコミュニケーションは取れないのである。
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[ 2011/06/16 19:58 ] 思想 | TB(0) | CM(2)
コミュニケーション・・難しいよねぇ

う~ん

考えさせられる・・
[ 2011/06/17 22:44 ] [ 編集 ]
( ゚д゚)ポカーン
[ 2011/06/18 16:47 ] [ 編集 ]
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