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No Money In Philosophy

_あなたの哲学を壊す_ 僕の哲学であなたの哲学をぶち壊して再構築するブログ。これはある意味で危険な行為であるが人生の中で最も大事な事の一つだと思う、なぜならそれが成長だから。これが最初のBreak your philosophy and reconstruction。あなたが僕の哲学をぶち壊してくれれば僕はまた一つ成長できるだろう、Please break my philosophy!!

現代教育批判シリーズ 第一回「新卒採用が無くならないのは」

というわけで僕の得意ジャンル…?
普段言いたくても自重しているジャンルである教育批判について
これでもうこのブログを就活で晒すっていう裏技が使えなくなるかもしれんw

今回はかなりホットな話題である新卒採用制度までの流れの矛盾点当を書いていきたいと思います。
テーマはババンと

新卒採用が無くならないのは


かなり大きく代打ちましたのでいつもの30分以内に書くっていう目標枠を拡大して、1時間ぐらいかけてこの話題について即興的に文章を書いていきたいと思います。
かなり固めの文になると思うので読む人は覚悟しといてください。
途中に出てくる細かい制度等は無視しても読めますのでだるければ読み飛ばし推奨w


この新卒採用制度と言われるものはグローバルな制度ではありません。
世界の国々の中で新卒採用制度が社会の常識というレベルまで染み付いているのは
やはり世界の中でも日本の就職の代名詞のようなものかもしれません。

例えば海外では大学を卒業後、
ボランティア活動やインターンシップなどを行なってから就活を行うなんてことが
ごく当たり前のように行われている訳なのですが、

日本ではそういった例はまるで変人のように扱われています。
ここまで日本に新卒採用制度が染み付いているということは少なくとも親の代
50年程前つまりは1960年代頃よりこの新卒採用制度が常識化していた
と考える事が出来ますよね。

さてここでこの1960年代というのはどういう年代だったかを考えれば
新卒採用制度というものがなぜ生まれ、なぜ現代では否定され始めているのか紐解けるはずです。

1960年代は皆さん聞き覚えのある「高度経済成長期」と呼ばれる時代でした。
毎年毎年景気は上昇していき、GDPもうなぎのぼりのように増加、
企業は成長の頭打ち知らず。
まさに現代日本の礎になった日本の成長期です。

この時代に最もマッチした採用制度、それが「新卒採用制度」だったのです。

各企業は今年よりも来年の売上のほうが高くなるのはある種確定事項であり、
成長の終も見えない、
成長をしていくにつれて当然人材が足りなくなる。

だから人材を継続的に採用できる企業ばかりだった当時の日本では、
新卒採用制度でもまかないきれないほど人材を欲していた訳です。

その後日本は1973年の第一次石油危機つまりはオイルショック
までこのような留まることを知らない成長を続けていった訳ですので
何十年も新卒採用制度が常識として、日本人に染み付いてしまった。

そしてオイルショックで高度経済成長は終焉を迎えたが、
それでも日本企業は安定成長、つまりは毎年数名の新卒の需要があったため
この時に新卒採用制度が破綻することは無かった。

そして1985年プラザ合意と言われる円高ドル安という大きな流れを生み出す会議が行われます。
これによって1ドル235円から150円代で取引されるようになったのです。
ちなみに今日の為替は1米ドル = 77.1188401 円
信じられますか?w

円高の話は長くなりますので置いときますが、その後この円高によって円高不況が懸念され
不動産などの価値が高まるバブル経済の時代が来ます
ちなみにこのプラザ合意のあとの1986年「派遣社員制度」を誇大化する
労働者派遣法という法案が施行されています。

このころの日本政府が優秀だった証明かもしれんねw
日本は外交政策は弱いけど経済政策は時々神がかってたからもったんだろうなぁ
ま、自民党の時の話だけど。

さて長々と脱線しましたが、バブルが崩壊し就職氷河期が発生し
景気が良すぎて人が足りないという事に使われていた派遣社員は

景気が不安定だから使われるもの、にシフトしてしまいます。
悲しいなぁ、

その後日本は経済成長の停滞失われた10年と言われる
1990年代が流れます。

そしてやっと21世紀に話はうつる訳ですが。
いろいろありますがやはり今回の新卒採用制度と大きく関係するのが
大学全入時代、という問題
が発生します。
2007年問題とも言われてますが、
簡単に説明すると大学の定員数>大学受験者数という状況の事です。
2000年から大学乱立が起こっていたので当然かと思いますがw

メリットとデメリットをWikiから引用させてもらうと

メリット・デメリット
メリット
受験生の立場から見れば、(超難関校や医学部を除けば)ある程度は希望に沿った大学や学部に入学しやすくなる。

デメリット
研究者も含め大学関係者は、大学間競争の激化により収入が減少したり失職する可能性が生じる。
大学進学率が統計上は上昇し、大学卒業者の割合が増加してもあまり勉強しない学生が多いので、我が国における国民全体の知的水準が下がり、学歴のインフレーション状態に陥り、かつ我が国の国民がクリティカルシンキングできなくなる可能性が考えられる。
大学間の競争が激しくなっても、単位取得や卒業を厳格にすると志願者が減少するため、教育サービスの質が下がる。しかし、東京理科大学のように単位取得要件や卒業要件をあえて厳格にすることによって理科大生に対する勉学を外発的に動機づけることにより就職状況や大学院進学率を向上させるという戦略を取る大学もある。



というような感じですね、明らかにデメリットが多く書かれているあたりこのWikiページを書いた人の意気込みが感じられますがw

ここらでなんで新卒採用に限界が来たかまとめられそうですね

原因
その1 社会景気の先行きがわからないため単純に求人できる企業数が減った事
その2 大学全入問題をみるとわかるように知的水準の低い新卒が大量に生まれるようになった事
その3 円高によって日本は労働者を海外で獲得する方向にシフトせざるを得なくなった事
その4 高校卒業から大学入学、大学卒業というシステムがビジネス化した事


取り敢えずはこんな所でしょうか
その2とその4はかなり似ているきもしますが。

その1その2は前文で説明したと思うのでその3、4について説明すると
その3は単純な問題でタイで労働者20人雇うのと日本で1人新卒雇うのは大体同じっていうことね
っていうことはこれからの日本人に求められるのはタイ人20人を雇うよりもメリットがある人材になるってこと
こりゃ一筋縄じゃいかんと思うけど、これは一部大企業を目指す人にだけ当てはまることだからまだ大丈夫
日本で英語が使われるようになるよもうおしまいだけどね

その4が結構重大な問題、
もう学生っていうのはビジネスの餌食になっちゃってるってこと、
私立大学なんてほとんどビジネスオンリーだよw



ここまで書いたけど一言にまとめると


もう新卒採用制度は時代が認めない、でもそうじゃなくなったら君たちクォリティあげないとダメだよ?
ってこと

大丈夫だよ、いざとなればギリシャのようになればいいんだからw

参考文献
バブル崩壊と「失われた10年」
http://www.nara-su.ac.jp/econ/PDF/yamamoto.pdf
Wikipedia「大学全入問題」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%85%A8%E5%85%A5%E6%99%82%E4%BB%A3
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[ 2011/11/24 21:59 ] 現代教育批判シリーズ | TB(0) | CM(2)

早生まれと遅生まれの哲学

こんにちは、NOCHです。
Nとは窒素、Oとは酸素、Cとは炭素、Hは水素の元素記号、
つまりNOCHとは人間という物体を作っている主な元素を会わせた記号です。

最初の決まり文句的な物があるとグンと文章の書き出しがしやすいですね。

今日の現代教育批判は
日本の幼少時代は3月生まれの人が明らかに不遇で4月生まれの人が優遇されてる。って言う話

幼少時代って1年間の重みがでかい、単純に心と体の年齢が1年違うって言うことが顕著に能力に現れてくる時代、それなのに社会はそれらの人たちを同等に扱おうとする。
実はこれによって色々な問題というか面白いこととか不条理なことが発生しているというお話をします。

僕は2月9日生まれなのでかなり遅生まれです。
ということは幼少時代不遇な生活を送っている可能性が高い人間です。
小学校の頃は背が低かったし運動もできなかった、ということにされていた。
これは当たり前のことで、小学生の頃って1年間で下手すりゃ10センチぐらい身長が伸びる時期なんだから2月生まれと4月生まれで並べられたら確率的に遅生まれの人たちの身長が低いに決まってんだよね。
でも僕たち人間は確率という物をあまりちゃんと理解できない生物だからこれに気づかない。

これは多分中学生ぐらいでの第2次成長期の時期が一番問題で、体力的に1年分優遇されてるから当然成長も先を行っている。だから遅生まれの方が体力がないかのように扱われる。
ということは部活とかでレギュラーとかになる確率が当然早生まれの方が高くなる。レギュラーになったりあいつは運動ができるやつだという扱いをされると当然のようにその能力が伸びる。
実はスポーツ選手の生年月日ってのは明らかに早生まれが多い。

甲子園で優勝するチームっていうのは早生まれの人が多いチームがほとんど。
高校は体が完成し始める時期とはいうものの高校野球で1年間の重みというのは大きい、
当然のことながら早生まれの人の方が野球がうまい確率が高くなる

遅生まれの人が開花する時期というのは明らかに青年期が多いと僕は思う。
開花というのは勉学であったり、いろいろな才能を指してよいのではないだろうか。
それまで同年代とはいったものの最大で1年近い成長の差があったわけだが、
青年期になるとその年齢による個体差の幅というのが大分ちぢまってくる。


具体的に僕の例を話すと、
小中学生の時代の僕は「運動があまり得意では無い子」ということになっていたし
僕も自分自身をあまり運動ができないと思い込んでいた。
するとどうなるかというと、「自分は運動ができない」というバイアスが自分にかかる。
「運動ができない子」の行動をとる、具体的にはあまり運動が好きではなくなる。
こうなると当たり前だが「運動が得意ではなくなる」のである。

だから僕の個人的な人生の経験則になってしまうが、遅生まれの人は趣味とか、得意なこと
という物がどことなくインドアなものになっていると思う。
もっというと1月2月3月生まれの人って言うのはなんとなくインテリで、軟弱な気がするのである。
僕含めw

その要領で4月5月6月生まれの人にはなんとなくアウトドアな印象を持っている、
これは完全に僕の「なんとなくそう思う」の範疇を出ていないので適当に聞き流してもらっていいのですがw


まぁ少し脱線しましたが、ところがこれが青年期になると
「あまり運動ができない」と思っていた僕だが、一応運動部に所属して、人並みに運動してたもんだから
高校になったぐらいから「運動ができる子」のような気がしてきたのである。
小学校の頃は同級生の女子にも負けるぐらい50m走のタイムが遅かったので、
50m走というジャンルにトラウマや恨みすら覚えていたわけだが、
青年期になると意外と上位のタイムが出るわけなのである。

そこで僕は「意外と運動ができるのでは?」という認識になる、
そういったバイアスがかかる。
運動が意外と好きになる。

といった経験が今思えばある、
ここで僕が言いたいのは「遅生まれってマジ不遇な人生送ってきてるよな!」
という内容ではなく、
今の年になって昔自分が「あまりできない子」と呪いをかけたことをやってみようではないか
ということなのである。
昔運動ができなかった人は今はできるかもしれない。
昔ピアノがあまり同年代の子よりも上手くならないと思っていたとしても
今の年ならもしかして他の人よりも才能があるかもしれない。


どうでしょうか、この記事を読んだ遅生まれの人はきっとドキッとするはずです。

Don't worry be happy.   by松岡修造

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[ 2011/12/20 17:25 ] 現代教育批判シリーズ | TB(0) | CM(2)
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